思考のエゴに気づく
「かわいそうな私」「悪い他者」の話をしているときによく陥っている人間の仕方がないところの思考型エゴに気づくことです。エゴとは、自己同一化のことを指しています。
つまり何かに、自分を同一化してるということです。
例えば私は偉い先生、教授、部長、リーダーだとしたら、部長=私と思っていてどんな時でもそれにははまってしまっていたら、
みんなで、ご飯屋さんに行っても俺は部長だぞと威張り散らしている。
これが、エゴです。
つまりその自分と何かを結びつけちゃって固定化してしまってるの自己同一化エゴっています。
わかりやすいものがブランド物を所有してみせびらかすことで安心してるって言う場合がありますが、これはもの型エゴと言って自分が所有しているもの=自分としている。
これは、ものがなくなると気づくのでわかりやすいのですが、
一方でわかりづらいものっていうのがあります。
それが、正しい私、良い人の私、、できる私とかいう、思考の産物です。
その思考の産物=自分が結んでいると、それはもの型よりも結構、厄介なものになってきます。
思考の場合は失いづらいんですだからこそ、気づきづらいのでそこに固執したら、自分にもそのエゴに気づいていないので、何とかして、その正しい私を守るために、思いつく論理を駆使して正しい私を擁護する理論行動をとってしまうことが、人はあります。
意思決定をするときに、これ正しい自分を守るためにやっているのかどうかを疑うことが大切です。 稲盛和夫さんは、「私心なかりしか」とひたすら問うてから、事業をやる。と言っています。 自分のエゴで何かしようとしてないかをひたすら、考えてそれがないって自分で実感できてから何かするとか言う話を聞いたことがあります。
ファシリテーションとかしたときにもですね、その正しい私を擁護するためにあーでもないこーでもないっていっぱい話します。 ただそういうときの話は全部「かわいそうな私」「悪い他者」の話しか出てこないので思考のエゴにまだ囚われてるなと思ってもらうといいと思います。
「正しい私」「良い私」「できる私」に固着していて、でもうまく行ってない場合は、必ずと言っていいほど、「かわいそうな私」「悪い他者」それを擁護する様々な論理を。これはもうほんとにうまく話すと言う事が起こってきます。 それは仕方がないって言うことで、じゃあ次どうすんのっていうところに行くことによって、ちょっとずつエゴが外れていければいいなと思います。
自分が、このエゴにとらわれないように意識するとても大事です。