操縦桿を握る心:失望の日々
あの日の審査が私の人生を一変させました。その日以来、夜中に飛び起き、何であんなことをしたのだろうという思いにかられることがしばしばありました。審査中に起きた判断の瞬間、瞬間が、再三再四、心に蘇りました。
機長として低い評価を受けることは、私の経験や努力が全否定されたような、耐え難い恥辱でした。
私についた指導機長は厳しい人物でした。ブリーフィングはいつも2〜3時間、時には4時間近くも続き、ホテルに戻ってからもその議論は延々と続いた。彼の指導は厳しく、私の運航スタイルと全く異なり、操作一つ、言葉一つに対しても文句が絶えませんでした。
最初は、私はまだ未熟なのだからと彼の言葉を受け入れました。しかし、その言葉と意見の洗礼を受け続けるうちに、私の全ての判断基準は彼のものに変わり、文句を言われないようにという思考が、主な操作や判断の根拠となってしまいました。
「だからだめなんだ」という言葉が頭の中でリフレインし、何をやっても、何を判断しても、自信がなくなっていきました。そしてブリーフィング記録には、山のように指導項目が並び、これ以上ないほどの自信喪失を感じました。
2〜3ヶ月、そのような日々が続き、私の操縦もだんだんと自分のイメージ通りに進まなくなりました。何をやってもうまくいかない。全てがダメな方ダメな方へと行くようになってきました。最後は、あれだけ自信のあった着陸も思うようにいかなくなりました。
「もうキャプテンはできない」と、私は深く自己疑念に陥っていきました。